岩手医大病院(岩手県矢巾町)は30日、重い障害で体をほとんど動かせない10代男性が小児病棟に入院中の昨年10月、たんの吸引が不十分だったため窒息し、低酸素血症で死亡する医療事故が起きたと発表した。付き添いの母親が不在時に発生し、病院は吸引などの介助が日常的に必要な「医療的ケア児」に対する理解不足などが背景にあったと説明した。(産経ニュース)
この報道を見て、10代まで懸命に吸引処置を続けてきたご家族の無念を思います。
医療的ケアが必要なお子さんに対し、永久気管孔という仕組みを理解していなかった看護師さんは、医療的ケア児についての知識が乏しかったのでしょう。
指導をしていなかった先輩看護師や医師の責任を考えます。
一方で、日頃本人の喜怒哀楽をよくわかっているお母さんは、ケアの内容や注意点を書いたメモをスタッフに渡していたとのこと。
事故が起こらないようにと考えて精一杯の対応をしていたのに、と本当に残念な思いでおられると思います。
お子さんのケースに限らず、看護師や担当医師の知識不足や不注意による事故は、これまでも繰り返されてきました。
しかし、今回かすかな希望を感じるのは、岩手医大が亡くなって半年の早い時期に、責任を認めて何が起こったのかを明らかにしたことです。
これまでの大学病院であれば、医療的ケア児のお子さんの永久気管孔という、一般の人にはわかりにくい(だから看護師も理解していなかった)事実は、隠して色々な言い訳をしてきたでしょう。
当方も、数々の言い訳を体験してきました。
例えば、
「医療的ケア児は常時呼吸不全状態が急性増悪するリスクがある」
(簡単に言えば、医療的ケアが必要なお子さんは、いつ亡くなってもおかしくないんだ)
「呼吸状態安定のため常時モニター管理の必要性はなく義務はなかった」
(大丈夫だと思ったからモニターをつけなくてもいいと思った)
「永久気管孔を要する全身状態であったことが主たる死因」
(自分で息ができないから亡くなったんだ)
とか、専門用語を振りかざして、いかにも正当な理由で亡くなり手の施しようがなかった、というようなことを遺族に小難しい顔をして説明し、それで調査を済ませたことにして自分たちに都合の良い報告書を、外部委員と一緒になって作成することが多かったのです(今でも関西の多くの大学病院の報告書はそんなものが大多数です)。
多くの場合は、ご家族やご遺族は真実を肌で感じ、大学病院にうまく言いくるめられている事に気づきながらも、手立てがないまま諦めていました。
今回、医療機関として言い訳を作り出そうとすればいくらでも作れたケースだったにもかかわらず、一番の問題点を明確にし、早期に事実を公表した岩手医大の決断は、意義のあることだと思います。知識不足だった看護師さんにとって、公表はショックな出来事だったでしょう。
それでも、こうして事実を明らかにし、何が悪かったのかを明確にすれば、その職場全体として、今後同じことは起こらないようにどうすればいいか、建設的に前を向いて進めるようになると思います。
これまで大学病院の多くは、事故を起こしてしまった「看護師を守るため」に事実を隠し、誰にも何も言わないように指導し、遺族からの圧力に無言で耐えるよう病院のトップが指導してきました。まだ過去の話ではありません。
つい先日も、某大学病院の大きな関連病院での事故について、当時の責任者である外科部長が、部下を守っているつもりなのか、証人尋問が行われた法廷で明らかなウソを何度も繰り返し、ミスを犯した若手医師本人はうなだれていました。
若手医師はたくさん集まった遺族の前で、私のミスだった申し訳ない、と正直に言うことは許されず、消え入るような声で、ミスはありません・・・と。その後に出てきた外科部長は、故意に自分のストーリーを繰り返し熱弁し(もちろん、医学的には間違っているストーリーです)、ふんぞり返っていました。「自分が白と言えば白だ」と。
裁判官や弁護士の医学素人に、嘘がバレるはずはない、という尊大な態度に、法廷にいた全ての人が不愉快な気持ちになる尋問でした。まさしく「偽証」です。
あのあと、ミスを犯した若手医師は、正直な気持ちを表に出すことも許されないまま、行き場のない感情を、裁判を起こした遺族や、患者側弁護士に向けて解消するのでしょう。
「治してやろうと思ったのに訴える遺族が悪い」とか、当方のような「医者のくせに患者側をするなんて最低な弁護士だ」などと。
正常な精神を持っている人間なら、そうやって人のせいにしなければ、乗り越えられない程、辛い感情だと思います。
本来、人の命を救う志を持って医師になったならなおさらです。
平然と嘘をついた外科部長は、昔、先輩がやって来たとおりに自分もやったつもりなのかもしれません。嘘をつき通すことで若手医師を救った気でいるのかもしれません。でも、逆効果であるということに気づいておられません。
実際には、人を殺して、謝ることを許されず、ウソを強要されるということは心理的にとても辛く、更に、自分のせいだと消化できなかったときに、裁判を起こさざるを得なかった家族や遺族のせいにすることにつながります。
ミスはタブーとして語ることも許されず、もう二度とミスが起こらないように皆で考えよう、というモチベーションが働くことはありません。
ミスの原因を明らかにして、他の医師や他の医療機関で起こらないようにどうすればいいのか、それを考えるためには、まず事実を認めることがスタートなのです。これまで沢山の医療ミスが、それらしい言い訳と患者さん達の諦めによって闇に葬られてきました。
しかし、岩手医大のように、事実を明らかすれば、タブーとして隠す必要はなくなります。問題を起こした看護師だけでなく、明日は我が身かもしれないと他のスタッフも感じるでしょう。本当の意味で、新しく職場に来る新人達に、どんな教育が必要なのかを皆が真剣に考えるでしょう。それこそ、今後の職場全体の安全意識を変えていくキッカケに出来るのではないかと思うのです。
なぜ隠そうとするのか、隠したことがバレたあとの被害者の行動は、一つです。なぜ隠したのか、許せない・・・事実を知った以上、そう進むしか道がなくなるのです。今回の医療事故調査に関わった岩手医科大学の医療従事者の方々や、心ある外部有識者に敬意を評したいと思います。そして、本当に、二度と同じような事故が起こらないように教育システムや研修システムづくりを進めて欲しいと思います。
西日本の多くの大病院や大学病院(特に旧国立系)は、まだウソをつき続けておられるところも多いです。ウソを続けてきたある大病院の院長は、「医療の質・安全学会の評議員」として事実を明らかにしようとした医師の報告を、学会を通じてもみ消しました。令和の時代に信じられないことが、まだ医療の世界では続いています。
外部委員として加わるものの、真実に気づきながらその指摘をあえてせず、ウソのストーリーを間接的に後押しする学会推薦の専門家もまだまだいます。外部委員として無言でいることは、適切な調査を行ったかのような体裁づくりに加担する行為で、嘘つき以上に重い罪だと思います。
そろそろ、「バレる嘘をつくのはやめよう」、「嘘をついてもミスを犯したスタッフの心は守れない」、「黙っている自分も重罪」ということに気づいてほしいと思います。正直に話してもらう文化が醸成されるまで、私の仕事はなくならないと思っています。
10代で亡くなられた御本人のご冥福を、心からお祈り申し上げます。