日々、医師・弁護士として医療ミスに遭われた患者様やご家族を救済するために活動をしていますが、医師向けに講演の依頼をいただくことも多くなりました。
先日も、杉並区医師会にお招きいただき、講演を行いました。
講演タイトルは「災害現場の法律と善きサマリア人」。
きっかけは、昨年の福島県医師会で富永の講演を聴講された医師からのご紹介で、災害時の医療提供体制と法的な課題について話してほしいというご依頼でした。
このコラムでは、講演の内容を実際のスライドとともに一部ご紹介します。
善きサマリア人法とは?
講演のタイトルにもある「善きサマリア人」とは、新約聖書ルカの挿話で、イエス・キリストが隣人愛と永遠の命について語ったたとえ話に登場します。
強盗に襲われ瀕死の傷病人を見て祭祀などの偉い人々が素通りする中、サマリア人の旅人だけが介抱し自腹で費用を払ってまで助けました。
「善きサマリア人法」(Good Samaritan Law)とは、その挿話が由来となって作られた法律のことをいいます。
「急病人や負傷者を救おうと、善意により良識的かつ誠実な行動を取った場合、失敗してもその責任を問われない(免責する)」という趣旨で、善意で急病人などを助けた人に対し、原則として法的責任を負わせないための法律といわれています。
アメリカ、カナダ、オーストラリアなどで制定されていますが、日本には善きサマリア人法にあたる法律は今のところありません。
その点について、災害現場などで活躍される医師達が、様々な不安を抱えておられるとお聞きしていたので、日本ではどうなっているのかをお伝えしようと考えました。
Q.なぜ日本には善きサマリア人法がないのか
日本には、善きサマリア人法がないといいましたが、関連する法律が全くないというわけではありません。
民法698条の「緊急事務管理」※によって、ほとんどのケースをカバーできるとして、今まで法制定には至りませんでした。
※緊急事務管理
「管理者は、本人の身体、名誉または財産に対する急迫の危害を免れさせるために事務管理をしたときは、悪意又は重大は過失があるのでなければ、これによって生じた損害を賠償する責任を負わない」
しかし、「緊急事務管理」という言葉は、法学生や法律関係者しか知りません。一般にこの言葉を知る人はほとんどなく、安心して積極的な救護を行えるようにするには、きちんとそのあたりを伝えていく必要があります。
救護活動を躊躇する医療従事者たち
急病人やケガ人が発生した現場に居合わせた医療従事者は、自身の知識や技術的な不安、勤務外であることの他にも、救護をためらう理由として「法的責任を問われたくない」ことを挙げるといわれています。
医師向けのアンケートでも、飛行中の機内でドクターコールに対し「ドクターコールに応ずる」と回答したのは41.8%に留まりました。
大規模災害への備え
今回講演を行った東京都を含め、首都直下型地震や南海トラフ巨大地震発生の可能性が論じられる中、いつどこで大規模災害が発生するかはわかりません。
路上や航空機内などでの突然の傷病者救護と同様、災害発生時の医療提供体制(人員や医療資源など)には大きな制限があります。
そのため多数の傷病者に対し、限られた条件の中で医療行為を行わなければならず、その結果、医師たちが医療訴訟などに繋がるのでは、と恐れるのは当然のことでしょう。
杉並区医師会でも、災害医療を行うにあたって生じる可能性のある医療訴訟に対し、適切に対応できるように準備をしておく必要性を強く感じておられ、過去の大きな災害での事例も参考に対策を考えていきたいとのご要望をいただいていました。そのため、実際に東日本大震災や、能登半島地震でのケースを例にお話ししました。
東日本大震災で発生した訴訟事例
東日本大震災では、被災した女性(当時95歳)が、病院への搬送時に行われた、治療の優先度を決めるトリアージで、最も軽い「緑」と判定された後に、対処が必要と認識されないまま亡くなりました。
ご遺族が「十分な医療措置がなかった」として病院側に損害賠償を求めましたが、仙台地裁で裁判上の和解が成立しました。
和解にあたり、病院はご遺族に哀悼の意を表明すること、今後も災害発生時に適切な医療実現に尽力することを約束しましたが、原告に対する金銭的な補償は認められませんでした。
和解になると、その内容は双方の希望でほとんど外部にはわからないようになりますので、推察するしかありません。
このケースでは、最終的に和解となったものの、現場の医師たちの中にはトリアージ等に関して法整備やガイドライン作りを行わなければ、根本的な解決にはならないのではとの声があるようです。
当方は、具体的な事例を詳細に知っているわけではありませんが、災害時のひっ迫した状況、患者さんの既往歴やその日の状態などのすべてを考慮して、裁判所が簡単に病院の責任を認めることは、おそらく難しかったのではないかと想像します。
裁判を起こされること自体、医療従事者にとっては大変なことですが裁判の権利を奪うことはできませんし、裁判所はきちんと事例毎に判断するため、当時の状況を正しく伝えることが必要です。
裁判上の和解には、患者側が「完全敗訴よりはまし」と考えたケースも含まれます。
耳目を集めたこの裁判が、どんなケースで裁判所がどう判断したのか事実が公表されるべきだと思いました。
能登半島地震で発生した男児の死亡事例
地震発生時に下半身にやけどを負った男児が入院を断られ、その後高熱やめまいなどの症状が出たものの適切な処置を受けられず亡くなったケースです。
小児熱傷の重症度を当てはめて判断した場合、帰宅指示は適切だったのでしょうか。
当時の状況や医療体制を考えつつも、災害時だからと医療水準が著しく下がるようなことは避けなければいけないと思います。
日本版善きサマリア人法
2023年12月、日本賠償科学会と日本救急医学会は、救護者保護に関わる法的整理(法制化)について国に提言しました。
『最終的には「社会を構成する市民全体における相互の救護」に関わる法の整理の実現を見据えたうえで、まずは市民のうちで救護の知識と技能に長けた「医療従事者」による救護に着目し、本来はできるのに法的不安によって躊躇する医療従事者による「善意の救護に関する免責」について検討』し、日本版善きサマリア人法の制定を目指して、この提言は出されました。
法律があれば安心?
では、はたして法律が整備されれば、医療従事者は安心して救護や医療提供ができるのでしょうか。
「良識的かつ誠実」、「できること」の判断基準や、不適切でも「善意」であれば許されるのでしょうか。
もし、自分の子どもや家族が当事者となった時、「災害時だから仕方がない」、「できる限りの診療をしました」と言われて納得できるでしょうか?
法律は、常に究極の状況を想定しておかなければなりません。
制定法を作るべきか否かを考えるときにも、そのことを念頭に置くことが重要です。
こうした新たに見えてくる様々な課題について、講演ではお話しさせていただきました。
参加者の先生からは、現状を知ることで安心した、ネットとは違う正確な知識が得られてスッキリした、というようなお声をいただきました。