医療ミスで両手足切断 病院が被害少女に和解金62億円支払う(2023.1.21)報道に思う。
衝撃のニュースがイギリスメディアMETROで報道され、日本でも「両手足切断」「和解金62億」と話題になりました。
両手足切断になった理由は、METROの報道内容からしかわかりませんが、高熱で意識がもうろうとし、吐き気があって病院を受診しました。症状からは髄膜炎と敗血症のサインがあり「Red Flag」(赤旗、つまり見落としてはいけない重篤な疾患のサイン)があった状態でした。しかしドクターは、小児用の解熱鎮痛剤パラセタモール(日本では、コロナで有名になった、カロナールとおなじ、アセトアミノフェンという薬剤です)を内服させただけでした。数時間後に、背中に赤い発疹や高熱が出て、髄膜炎菌による敗血症と診断され、集中治療の可能な病院に搬送され、両足を膝上で切断、両手を肘より上で切断し、皮膚移植も必要となった。両親は、当初緊急診断して抗生物質を投与していれば、両足、両手の切断は避けられたと主張しました。
元気な子供が、急にもうろうとして吐気もあり、高熱となれば、髄膜炎を疑う必要があることは日本でも同じです。髄膜というのは、脳や脊髄を覆う膜で、ウイルスや細菌が何処かからか入り込み、血流に乗って脳や脊髄を覆う髄膜に流れ着いて、そこで炎症を起こす病気です。日本の国立感染症研究所の発表では、感染症法下における感染症発生動向調査により5歳未満(0歳及び1〜4 歳)で髄膜炎が多く、全体の約半数を占めているといわれています。5才以降はそれほど多くはありませんが、70歳以上ではまた多くなる病気です。季節ではいつ起こりやすいということはありません。
細菌感染による「細菌性髄膜炎」の疑いが少しでもある場合は、どんな細菌が原因か確定するよりも前に、確定診断前の抗生物質(抗菌薬)の開始が必要だといわれています。
特に、髄膜炎菌という菌による場合は、「髄膜炎菌性髄膜炎」と言って重篤になりますので、全数報告対象(5類感染症)となっています。これは、診断した医師は7日以内に最寄りの保健所に届け出なければならない病気です。
また、その他の細菌が原因の場合でも、「細菌性髄膜炎」は定点報告対象(5類感染症)となっており、週毎に保健所に届け出なければならない病気です。
そんな病気を疑うべき症状が出ていたのに、薬局でも手軽に買えるような痛み止めを投与しただけで様子を見ていたことが、問題になったケースです。
なぜ、両手両足の切断が必要になったのか、というところは、細菌による感染が全身の血流に乗って広がった場合に、細菌の集まるところには、血中の白血球などの免疫細胞も戦うために集まり、白血球の死骸が「膿(うみ)」となって溜まってしまいます。膿の塊は膿瘍(のうよう)といわれ、血が流れていない部分になるため、血液中に投与された抗生物質も届きにくく、感染の巣になるため、救命のために手や足の膿が溜まってしまったような部分を切断したと考えられます。膿が筋肉にたまると筋肉に沿って広がる壊死性筋膜炎という状態になります。壊死性筋膜炎の状態になってしまうと、抗生物質での治療は効果が十分ではなく、感染症で死に至る可能性も高いため、切断が一番の治療法ということになるのです。
日本でも、髄膜炎の見落としによる裁判例は、過去にたくさんありますが、賠償額が英国の例ほど高額になることはありません。その理由は、日本では、先進国に比べて患者さんの命の値段が極めて低いからです。日本では、交通事故のケースを参考にして死亡したときの慰謝料(殺されてしまったことに対する無念さを慰謝するための賠償金)は、どんなに偉い有名な人が亡くなっても、残された家族にとって大事な一家の支柱であっても2800万円が上限です。死ぬより苦痛な、寝たきりの状態にされた場合でも、慰謝料は最大4000万円程度で、億単位になることはありません。
今回のケースのように、両手両足を切断されてしまっても、意識があれば4000万円にも満たない慰謝料しか認められないのです。さらに、慰謝料に加えて、将来働いて得ることができた分の逸失利益(本来手に入れられるはずだった利益を失った分)という、賠償金の請求もできますが、例えば女児が生まれつき寝たきりにされてしまって、その後一生寝たきりだった場合でも、日本では、1億円を超える賠償にはならないのです。
日本の裁判例で稀に1億円を超える金額が認められている場合には、慰謝料、逸失利益に加え、将来介護が必要になった場合の介護費用なども全て含めても1億円程度、どんなに年収の高い人が将来得られる報酬分を請求したとしても、3億円がいいところです。将来有望な研修医(医学部を卒業して医師資格を得て、研修を始めた医師)が殺されて、将来医師として稼いだであろう収入を念頭に置いても、日本の法律では、せいぜい3億円程度にしかなりません。
英国のニュースを見て、改めて、日本では、「命の値段」が安いことを思い出します。どんなに酷い医療ミスで子供の手足が亡くなっても、現在の日本の制度の中では、せいぜい1~2億円程度、実際にかかる介護費用なども含めてその程度の値段にしかならないのです。
最高裁判所でも日本の賠償額の低さは、以前からずっと話題にはなっていますが、一向に改善される余地はありません。裁判になって、賠償金額が決まったときに支払うのは保険会社です。日本の命の値段は、保険会社の利害を反映して伸び悩み、前例を踏襲することにこだわる裁判所の判決によって、昔ながらの金額がずっと維持されているのです。そのからくりは、日本が英米法のシステムを取っていないところにあります。
日本では、医療ミスを起こした医療機関や医師に対して、制裁を与えるための懲罰的な賠償の制度も全くありません。懲罰的賠償というのは、実質的な損害への賠償とは別に、加害者に制裁を加える目的の賠償も認める制度で、イギリスやアメリカなどの英米法系といわれる多くの国・地域で採用されています。
今回の62億にもその意味は含まれているはずで、実際に受けた損害への賠償(補償的な賠償といわれるもの)以上に高額が認定されるのです。
なぜ日本ではそのようなものが認められないのか。民事責任と刑事責任を厳格に分ける大陸法の流れを受けた日本にはこのような制度はありません。加害者への制裁は刑事上、行政上の手続きが担うとされているからです。でも、加害者である医療機関や医師が、刑事責任を問われる(業務上過失致死)ことは日本では、めったにありませんし、医師免許を停止、剥奪されるようなことも、ありません。医師免許を剥奪する権限を有しているのは、医道審議会ですが、強姦などのわいせつ事件や麻薬の使用、保険金詐欺などを起こした悪質性の高いごく一部の場合に、業務停止などがあるだけで、医師免許を剥奪されるようなことはまず考えにくいです。とすると、日本では、刑事上、行政上の罰は実際にはほとんどないのに、民事上の責任も軽い、ということがわかります。
やはり日本での「命の値段」は安すぎるのです。日本の命の値段は、賠償に関わる構造的な問題ということもできるでしょう。日本は医療ミスや医療事故を起こしても保険に加入している限り、病院や医者に直接的な経済的ダメージはありません。たとえ裁判に勝ったとしても、保険会社が数億円を支払う程度で終わってしまう国、それが日本の現実なのです。